もめんや日記

ぼちぼちと

叔母との特別な時間

昨日、能登町から金沢市に避難した叔母に会ってきた。

叔母は、2年前に亡くなった母の妹で、83歳になるという。

叔母の家は倒壊を免れたものの、断水で日常生活が困難。
正月に帰省していた孫娘一家のすすめで、娘夫婦と3人で移動したそうだ。
地震翌日の2日に13時間かかって、
避難先の孫娘の家に到着した。

昨日、電話で「お茶しよう」と叔母を外に連れ出し、2時間ほど話し込んだ。
親のようで、また、友達のような関係で話が弾んだ。

一日中会話をしないこともある、という。
4世代8人の中でも、Topは孤独だ。
83歳とはいえ、70代もずーっと働いていたし、
趣味の絵のサークルで友人と個展を開くなど、
なかなかアクティブな女性だった。

孫の家でも、やっぱりよその家。
近くに友人もいない。
時間がたてばたつほど孤独になるだろうなと思った。

手土産のスケッチブックと色鉛筆を渡して、またお会おうと言って別れた。
私にできることは、これぐらいだ。

手帳からの解放

過去の手帳の類を始末することにした。
もういらない。
っていうか、ずーっといらなかった。

約40年間仕事をしてきたときの仕事の予定と
子どもたちの学校の予定と
お金のやりくりばかりがメモってあって、
年齢が70近くにもなると必要ないことばかりで、
終いをつけることにした。

家には家族共有の大きなカレンダーがあるし、
To Doはメモ用紙で済む。

手帳から解放されて正直ほっとしている。
なんだこの解放感は!

故郷が変貌した

一生忘れられないできごとが、元旦に起きた。

生まれ育った故郷が地震の発生と津波で変わり果ててしまった。
今は他人に貸している実家の建物は無事だと、近くに住む親友が画像を送ってくれた。
自分が大変なのに本当に頭が下がる。

福井に住む弟は3日に現地入りして、親戚や私の友人の家に
水などを届けてくれたようだ。

緊急車両等の通路の妨げになってはいけないので駆け付けることができない。
家でなにもできずにもやもやしてもどかしい。

今日、友人からのラインでは
「断水状態がまだ続いていて、
 今日自衛隊が用意してくれているお風呂に入ったと言っていた。
 3時間待って数十分の入浴だった。
 女性隊員さんに『やす子サンですよね(笑)』
 と冗談も言えてます。」
と言っていた。
笑いながら涙が出てくる。

能登では、まだまだ揺れが続いている。
私が住む地域は震度5強だったけど、
普段の生活はできる。

ただ私は、元旦からパジャマを着て布団の中で寝れていない。

復興までには気が遠くなるような時間がかかりそうだ。

自分なりに故郷の人々に心を寄せていこうと思う。

手づくりは楽しい。

仕事にするつもりもないのに職業用ミシンを買った。
専業主婦には高すぎる買い物だけど、
生協の出資金の解約と500円玉貯金の残高で
支払いは何とかなりそうだ。

そのミシンで、最初に縫ったのが、孫のテーパードパンツ。
その孫にはもう1年以上も会えてない。
ピッタリ着こなした画像が送られてくると
服のサイズの変化で
ああ、大きくなったんだな
と、思う。
そして、孫の成長を直接見られないのが切ない。


今日は天気が良いので、気持ちを切り替えてミシンの掃除と注油をしよう。
次はお姑さんの着物のリフォームに取り掛かろうと思っている。

なんか楽しい。
物を作ることがほんとに楽しい。
会いたい人に会えない切なさを分解させてくれる。

もっともっと作ろう。

Wish List

書店などでは、9月頃から来年の手帳やカレンダーが店頭に並んでいる。

勤めていたころは手帳を持ち歩き、ゴチャゴチャ書いていたものだ。


今は、専業主婦だけどやっぱり手帳を買う。

良く物忘れをするので、備忘録としてゴチャゴチャ書く。


私の手帳には、「wish list」というページがあって、

その年にやりたいこと、読みたい本、観たい映画など

100項目を書き込むことができる。

100項目など埋められない。


今年書いたのは、38項目で

内、やれたことやかなったことは2~3項目だけ。


やれなかったたくさんの項目を、来年の手帳に引き継いでいく。


来年は、旅行したり、母に会いに行ったり、孫の顔も見に行ったり

ライブにも行ったりと、やれなかったことができる良い年になればいいな。



やれなかった項目はブログねたにでもしようかな

最後の項目に、「ブログを書く」を付け加えた。

耳鼻科デビュー

左の耳にセミでも飼っているかのような、ジージーと耳鳴りがしている。

数年前から、放置していた。

ここ最近、低い音がボワンボワンと聞こえて、

耳の中がジージーとボワンボワンでひどく騒がしい。

死ぬまでこの音と付き合っていくのもぞっとして

今日、耳鼻科に行ってきた。


いろいろ検査を受けた結果、原因が鼻からきているのがわかった。

もともと鼻アレルギーだったけど、

今の季節はアレルギー症状は治まっているので、

耳にきて悪さをしていたとは驚きだ。


薬局のお兄さんは、「熱が出る時もありますよ」と言っていた。

コロナ感染が続く中、熱が出るといろいろめんどうなことになる。


お医者さんには丁寧に説明していただき、

自分のことがいろいろわかったので、

今日、クリニックに行ってきて良かったと思った。


なるべくならお医者さんにお世話になりたくないけど

自分の年を考えると、

これからの方がお世話になる可能性が大きい。

上手な医者通いを心がけよう。

会いたいなあ

コロナの影響で

関東にいる娘家族とは、8か月会っていない。

昨年の台風19号で、近くの大きな川が氾濫し、娘の家も床上浸水になった。

今年1月、家の修理をするから、その間、私に家の留守番をしてほしいと言われ、

3週間ばかりこちらの家族と離れて暮らした。

1月下旬には、日本にもコロナウィルスに感染する人が増え、

そろそろ自宅に戻らないと、まじ、帰れなくなるかもしれない、と思ったものだ。

それから、会えていない。


実家の母とは、もう1年以上もあっていない。

一人暮らしに限界があって、要介護2を受けながら、弟夫婦に世話になっている

私の実家は能登にあるが、弟夫婦は福井にいる。

空き家となった実家には、現在、他人が住んでいる。

母とは、昨年6月に他界した叔父の葬儀以来、会えていない。


どうしたものか、と思いながら

私の日常は家事とパッチワークのルーティンで流れていく。